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Chapter 7


●努力する自分にこだわろう。
ひと(他人)を自分の思うように動かすことは、かなり難しいことです。
自分自身でさえ自分で思うようには動かないことも多いのですから、まして、人様を思うようにできるなんて考えるのは無謀でしょう。
ということは、わかっているはずなのですが...。
実際には多くの場面で、自分の思うように人が動いてくれないことを不満にしたりするものです。
こちらが親切にしてあげたのだから、これくらいはしてくれてもいいはずなのに..。とか、
これだけ相手のことを思っているのに、どうして好きって言ってくれないのかしら...。
これだけ嫌っているのに...いい加減に気づいてくちょうだい!...とか(笑)。
片想いでいる間は...「苦」の種は尽きませんね。
もっとも、結婚してからも、この手の思いは絶えない場合が多いのですが...。
そんな時にいつもいつも北極星のように目印にしたい大事なことがあります。
それは、自分の願うように人が動いてくれなくても、自分でできることを精一杯やることです。
その際に、相手の反応については心労しないと決めておくのです。
そうです、自分が努力したことに対して自分で満足する..ココにこだわりをもちたいものですね。

●早い結婚、遅い結婚どちらがいいか。
たとえば友人や知人が自分より早く結婚したりすると...、
「オメデトウ!」という気持ちとともに、本音ではため息が出ていたりしませんか?
おそらく負けたように感じるのが普通かもしれません。早く結婚できた人と、自分を比べて、ひょっとしたら自分は劣っているんじゃないかしら、なんてふと思ったりして自己嫌悪なんてしてませんか?
先に結婚することが、先にゴールをしたという意味であるならば 「負けた!」ということになるかもしれません。
でもほんとうは、負けでもなんでもないのです。ちょっとした違いなんです。
花の種類が違うかもしれないのです。そう、きっと咲く時期が違うだけなんですヨ。

●モテる器(うつわ)
世に中にはモテたいひととモテたくない人との両方がいます。
一般的にモテたい願望の強い人は...
心の中で「自分に注目して欲しい」という願いが強くあるものです。
自分のいいところを見て欲しいと願います。
そして自分のために相手が何かしてくれることを願ったりしています。
でも、本当にモテる人は「相手のいいところ」を見てあげます。
相手ために何かをしてあげたいと願っています。視点が違うんですね。
自分の視点を超えて見たり考えたりできる人がモテるセンスのある人なんですね。
自分自身を磨くことは当然必要ですが、相手の視点で考えることができる心の幅が「モテる器」なのです。

●人間的成長とは
人間的に成長しましょう! ...と言うと「人間的セイチョウ?ナニソレ?」..と...わからない方もいるという話を最近聞きましたので、少し書くことにしました。

人間の「成長」には2つの意味があります。
ひとつは肉体的成長、もう一面は精神的成長です。
どうして2種類あるのかというと、人間には2面があるからなんですね。
身体と心です。魂と肉体といってもいいかもしれません。

肉体の成長は目に見えます。またほとんどの方は20〜25歳でピークを越えます。
ところが精神的成長は25歳過頃から顕著になってきます。
スポーツ等で肉体に負荷をかけた時、身体はよく成長します。
人間の精神もこれと同じで、人生の色々な問題を経験するたびに心は鍛えられていきます。
精神に負荷をかけるトレーニングを通して精神は鍛えらていくのです。

悩みやストレスは無い方がいいと思われていますが、
実はそうした負荷のおかげで人間的に成長できているという見方もあるのです。
だから、彼氏や彼女がいない独身の時代は、色々と精神的に不安定で悩みも多いものなのですが、
その悩みが実は精神的な成長を促進してくれている素(負荷)になっているんですね。
もしあなたが悩みの中にあるとしたら、ただ今成長中!なんですよ!

●極端な願いは赤信号でしょ〜。
平凡をつまらないと感じる方の場合(注、私もそうですが。)、極端な選択を好むものですね。
たとえば、自分の人間的な魅力は棚に上げておいて、
女優みたいな彼女が欲しいのさ、と願ったみたり、
また女性の場合であれば、女友達がため息をつくくらいのいイイ〜男を彼氏にしたい、なんて夢想?いや考えていませんか?
もっとも、願望というのはある意味で自由ですから、イメージするくらいでしたらタダです 。
もちろん、誰にも迷惑かかりませんが。
しかし、問題はその先にあります。
現実での願いは、自分のレベルをわきまえた望みに変換する必要があるということです。

私が最近よく思うことは、人生には3つの大事な選択があるということです。
その中のひとつが、「誰と共に生きるか」の選択ですね。
できることならば共に生きる人は、やはり極端でないほうがいいと思うのです。自分のレベルに合っていた方がいいと思うのです。
なにしろ、極端では、共に生きるのが難しいですからね。
自分から見て、平凡に見えるお相手が、実は自分のレベルに合っているという、ひとつの目安になると思います。